実は霧島連山の中で史上最大の噴火をしたのは「御池」だった

登山と山は切っても切り離せない存在です。

僕が生まれた時から身近にある山は霧島連山でした。

幼いころからほぼ毎日見ていた、霧島連山。親の顔よりも見ていたといっても過言ではありません。

そんな霧島連山ですが、今でも活火山として活動しています。

今回は霧島連山の歴史について紹介します。

今までの霧島連山の活動で過去最大の噴火はどこだろう?

僕はよく高千穂峰や韓国岳へ登山に行くのですが、登山中にみる火口や溶岩の後を見てこんな疑問を持ちました。「どの山にも火口があるけど、いったいどこが一番大きな噴火なんだろう?」と、そしてネットで調べてみました。

すると意外な結果が分かりました。

霧島連山の中で史上最大の噴火は「御池」でした。

「御池」とは

「御池」と書いて「みいけ」と呼びます。

「御池」は宮崎県都城市と高原町の境にある火口湖です。池の直径は約1㎞、周囲は約4㎞あります。

「御池」の水深は約100mあり、日本一深い火口湖といわれています。

湖の底には第二次世界大戦で旧日本軍が使っていた戦車などが沈められたという噂もあり、実際に手りゅう弾などが見つかった事例もあります。また、日本の初代天皇である神武天皇が幼いころに遊び場として遊んでいたという伝説もあり、歴史と謎が多い「御池」は魅力的です。

ちなみに僕の友達は、御池でSAPをしていたのですが、その際にGoproを落としちゃいました。

友達のGoproも戦車と一緒に湖底で眠っています。

「御池」が噴火したのは約4600年前

「御池」が噴火したのは約4600年前といわれています。

「御池」はプリニー式噴火によって火口が形成されました。

プリニー式噴火とは多量の軽石・火山灰を放出する爆発的な火山噴火のことです。

その噴火の時に出た噴出物は「御池軽石(みいけかるいし)」と呼ばれています。

「御池軽石」は風下の都城市に約1m積もったそうです。

その後、水が溜まって現在では火口湖として高原町のシンボルの一つになっています。

まとめ

「御池」の過去を知るとたくさんの歴史や謎がある場所だというのが分かりました。

大噴火してから湖になり、初代天皇の遊び場になったり、旧日本軍の武器捨て場になったりと面白い過去の持ち主です。

「御池」の過去を知ったことで魅力的な湖になりましたでしょうか?


 

monngonia
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